1976年 東京生まれ
1995年 筑波大学附属高等学校卒
2000年 国際基督教大学教養学部 社会科学学科卒
2000-2003年 ITコンサルティング会社に勤務
2003-2004年 イタリアフィレンツェに留学
Alchimiaアルキミア(コンテンポラリージュエリー学校)、Perseoペルセオ(フィレンツェ伝統彫金学校)
2004年 有限会社ボッテガフジモリ設立
2010年 株式会社フジモリ設立
2012年 事業構想大学院大学修了

ライフワークは海外バジェット旅行
これまでに2回の世界一周、アジア横断、東欧自転車旅行、キリマンジェロ登頂など約60カ国を訪問


JJAジュエリーデザインアワード(日本ジュエリー協会) 新人優秀賞(2008年)、東京都知事賞(2009年)、日本ジュエリーデザイナーズ協会会長賞(2009年)、佳作(2014年)、入選(2009年、2010年、2013年) ジャパンジュエリーアート展入選(2010年)


JJAジュエリーデザインアワード2008
新人優秀賞

リング K18WGトリマリンインクオーツ ブラックダイヤ
リング K18YGトリマリンインクオーツ ブラックダイヤ


JJAジュエリーデザインアワード2009
東京都知事賞、日本ジュエリーデザイナーズ協会会長賞

リング K18WGライムクオーツ ダイヤモンド
リング K18YGルチルクオーツ

「2016年を迎えて
~震災から5年、これからの5年~」

今年2016年は、2011年3月11日の東日本大震災から5年目を迎える年となります。
また2020年の東京オリンピックまで5年という年でもあります。

弊社は震災の前年2010年に過去最高の業績となり、卸売のマリッジリングは、月1000本以上を製作、販売し、直営店のADAMも、開店30年来一番の成績を納めていました。

しかし、その翌年震災が起こり、全ての状況は一変しました。

ニュースでは、震災で絆が深まり、婚約や入籍のブームとなっているといった報道もありましたが、
基本的には、自粛ムードの中で慶事は先送りにされ、ダイヤモンドの婚約指輪を買ってプロポーズ、というようなムードも自然となくなり、ジュエリー全体がいわゆる買い控えの状態となり、市場自体が冷え込みました。それは、2008年のリーマン・ショックとは比にならないものでした。

そして、その冷え込みは、自粛ムードの緩和と合わせて回復する予想を裏切り、ジュエリーに対する価値観の変容を生み出しました。言い換えると、ジュエリーの需要の多様化、もう少し強い言い方をすると「ジュエリーの無用化」が急激に始まったのです。
つまり、婚約指輪は不要とされ、背伸びをして高いジュエリーをプレゼントする男性は疎まれ、ステータスとして所有する喜びは希薄になりました。
そのような価値観の変化は、バブル崩壊以降じわりと進んでいましたが、辛うじて老朽化した柱で支えられていた価値観が、震災によって一気に崩れたという状況であったと思います。

昨年の年初メッセージに書きましたが、震災は、日本の社会に大きな変化をもたらしたのですが、それは、社会問題や価値観を一気に10年位先に進めた出来事だったと僕は感じています。
つまりタイムマシンのように、10年後の未来をいきなり我々の目の前に持ってきたものだったと。
ジュエリー市場に当てはめれば、やがて来たる状況、震災がなければおそらく2020年ころにそうなっていたであろう需要の冷え込み、ジュエリーに対する価値観の変化が、10年早く起こったと考えたいのです。

偶然にも、震災前から準備をしていたMITUBACIというブランドは、震災直前の2011年1月にブランドをスタートさせました。
当初は、少子化によりいずれやってくるブライダルジュエリー市場の縮小に対応するため、独自の直販ブランドをもつという目的で、オンライン販売をメインとするブランドとして開始しました。
実際には、スタート後丸一年、想定していたオンラインでの販売実績はほとんど伸びませんでした。
しかし震災後、プロジェクト結(http://project-yui.org/)での被災地支援の活動で行った、子供向けのワークショップの実施から偶然得た、ジュエリーを媒体にしたコミュンケーションに大きな可能性と新しい価値観がある、という手応えから、あたらしいMITUBACIのコンセプトが生まれました。

それは、これまで繋がっていなかった(オフラインであった)、“ジュエリーを作る人”と、“ジュエリーを使う人”を繋げ、“オンライン”にしよう、という目標です。

これまでのインターネットだけで完結するオンライン販売から、お客様に三軒茶屋の工房まで来て頂き、職人が直接、実演をして製作方法を説明し、お客様の要望や質問を伺って、それを自らの製作で応える、という工房見学による販売スタイルに徐々に切り替えていきました。
また工房にいらっしゃることが出来ないお客様には、スタッフが全国どこへでも直接お客様のところまで出向き、必要があればTV会議のシステムで工房に直接つなぎ職人と直接やり取りする、という「どこでもMITUBACI」というサービスも開始しました。

そして、子供からお年寄りまで、性別や世代に関係なく、ものづくりの楽しさを知ってもらうことを目的に「ものづくりカフェ」というサービスを工房で随時実施し、また東京ビックサイトでのハンドメイド系の見本市や、美術大学の文化祭に、ワークショップとして出張開催したり、石巻の中学校でも職業講話の授業の中で実際にジュエリー作りを体験してもらうといった取り組みを行ってきました。

そして昨年、「かなえてあげる職人がいるジュエリー工房」という新しい合言葉が職人たちから生まれ、直営のショップでのお客様の難しい修理やこだわりの要望、卸先からのリクエストなど、出来る限り職人の腕と工夫で応えたいという素直な気持ちで仕事をすること、それが出来るための努力や環境づくりを行っていくという方向性が定まりました。

また製作することでかなえるだけでなく、彼女に内緒でオーダーしたい、受け取りの時にプロポーズがしたい、短い東京滞在中に受け取りたいといったリクエストに何とか応えたいと考え一つ一つ実現し、ついには工房内で結婚式がしたいというお客さまがあらわれ、職人とスタッフたち総出で、花嫁のベールや、ケーキ、シャンパンを準備し、職人が神父役になり指輪を交換するという出来事もおこりました。

今まで、頂いた注文を黙々と製作していた職人が、これまで関係者以外が入ることのなかった工房にお客様いらっしゃるようになり、いきなり不慣れな接客をすることになり、未だに一組一組の来客が大きな負担になっています。
それどころか、2年前からは、シンガポールの百貨店で、英語も話せない職人が、製作の実演したり身振り手振りで外国人のお客様に直接販売するという、5年前には考えられなかった変化が震災後の5年間で起き、全員がそれに対応出来るように、一人ひとりそれぞれの課題の中で必死に頑張っています。

改めて、震災は、取り返しの付かないような甚大な被害と、回復の出来無い様々なダメージをもたらしましたが、同時に、やがて日本が直面するであろう問題を10年は早くもたらしたと考えられ、我々に未来への10年の猶予、もしくはアドバンテージを与えてくれた出来事ではなかったかと思います。

震災から10年となる2020年は、弊社の創業50年となる節目の年です。
経営者の私をはじめ我が社のスタッフ全員にとって、これからの5年で、震災前の状況や価値観に戻ってしまうか、もしくは、歯を食いしばって自らを変化、成長させ続け、新しいジュエリーの価値を生み出し、この日本で、自分たちのものづくりで、食べていくことが出来るか、前向きに仕事をすることが出来るか、そして社会に貢献することが出来るか、今年が大きな分かれ道となると考え、この一年間仕事に取り組んでいきたいと思います。


2016年 元旦
株式会社フジモリ 有限会社ボッテガフジモリ
代表 藤森隆

2015年の代表者メッセージはこちら >